歌野晶午さんの『葉桜の季節に君を想うということ』を先日読みました。
出会いは書店で。ずっと帯が気になっていた作品です。
帯には「これが現代ミステリーのベスト1です。」と書かれています。
2004年の「このミステリーがすごい! 第1位」
2004年の「本格ミステリベスト10 第1位」
「第57回日本推理作家協会賞受賞」
「第4回本格ミステリ大賞受賞」
とにかくすごいミステリーなのだろう、とぼんやり思っていました。
そして「きっと映像化して楽しめるようになるだろうから、それを見よう」と考えました。
昨今、受賞作品は早々にメディアミックス化される印象があります。
ミステリー小説なら、ドラマか映画。
実写化は時間の関係で物語に多少の変更が加えられますが、ミステリーの骨子は変わらないはず。
なら、旦那さんと一緒に見たいなぁ。
「そのうち映像でチェックしよう」
のんびりと待っていたのですが、なかなか実写化の話が出てきません。
「どうして映画化やドラマ化の話が出てこないのだろう?」
こうなったら読むしかありません。
ということで、先日読んでみました。
『シロクマの背に乗る』絶賛発売中!
結論。実写化不可能な作品でした。
見事に引っかかりました。
ミステリーを読む際は先入観を捨てるのが大事、と常々思っているのですが、うっかりです。
読んでいる最中「そういえばどうなのだろう?」と不思議に思ったのです。
でも、たいした問題ではないと傍に置いていたのがよくなかった。
そこで一度立ち止まるべきでした。ああ、悔しい。
* * *
小説を執筆する際、一人称か三人称、どちらにするか迷うことがあります。
私は一人称の方が書きやすいです。
一人称の利点として「語り手の視点で物語を展開できる」があります。
ワトソンくんの立ち位置はとてもおいしいのですよ(笑)
この間、そんな小説を執筆しました(笑)
『葉桜の季節に君を想うということ』はその引っかけが見事に機能していて、とても悔しいです。
ぐぬぬぬ。いつか私もやってみよう。
* * *
物語として。
今、旧統一教会問題の献金問題が国会で討論されています。
『葉桜の季節に君を想うということ』では、悪質な霊感商法が取り上げられています。
一時期ひどかったですものね、霊感商法。
個人がお金を払い、それが側から見ていて尋常でない金額だった場合、どうすれば良いのでしょうか?
霊感商法に関してはクーリング・オフ制度ができたりしましたが、宗教となると信教の自由がありますし、法律で縛るのはなかなか難しいですよね。
「お金を払えば救われる」
この信仰心を他者が一方的に止められるのか。
世相を思いながら楽しく読ませていただきました。
気になる方は是非一度、読んでみてくださいな♪
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