どうして古典の勉強をしなくてはならないのか?
つい先日、とある国会議員から「三角関数よりも金融教育をすべき」といった趣旨の発言がありました。理由は「三角関数は日常生活で使用しないから」というもの。
確かに、私は社会人になってから三角関数を使用していません。
でも、使用しないから勉強しなくてもよい、というロジックは正しいのでしょうか?
今回紹介する本は古典の楽しみ方を教えてくれる『役に立つ古典』という本です。
本書を執筆された安田登さんは日本の能楽師の方です。能に関する著書をいくつか出版されています。
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古典は社会に出て役に立つでしょうか? 立たないでしょうか?
安田登さんは本書の「はじめに」で“大人になり人生の深い問題にぶちあたったときに突然、その真価を発揮”するのが古典だと意見を述べています。
日常生活で古典はすぐに役立つものではありません。ですが、人生でふとヒントが欲しくなった時に陰で支えてくれる。それが古典です。
そのためにも触れられる古典にはざっと目を通しておくことが大事だと書かれています。
本書では『古事記』『論語』『おくのほそ道』『中庸』の四冊が紹介されています。
『古事記』ではそこに使われている漢字から当時の日本人たちの価値観の変化を読み取っています。
中国から輸入された漢字を使って日本語の文章を最初に書いたのが『古事記』です。
説明で、編纂に携わった太安麻呂による意図的な漢字の間違いを指摘します。
そこから推測される当時の日本人の価値観。読んでいてとても面白かったです。
『論語』では漢字から読み解ける意味を紹介しています。
孔子が生きていた時代に使われていなかった漢字が『論語』では使用されているとのこと。
そこから判明する本来の意味に衝撃を覚えました。
『おくのほそ道』では俳人・松尾芭蕉の旅路はどういった意味があったのかを説明しています。
彼の辿った道の説明を読むと、これが古典を楽しむ人の姿なのか、と新鮮な気持ちになりました。
『中庸』ではそこで説明されている「中庸」と「誠」の意味を説明しています。
「中庸」の「常にぴったり」という説明はしっくりくる人も多いのではないでしょうか?
「誠」は「成るべきものを成るべきように成させる力」と説明しています。
“あらゆるものは成るべき要素を持っていて、それがそのまま成ることを助けるのが「誠」”。
少し難しく思うかもしれませんが、本書を読むと深く納得できます。
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物書きにとって古典文学に触れることは必要なことでしょうか?
私は必要ではないか、と考えます。
古今東西、さまざまな物語が生み出されています。
世界中の神話を比べてみると共通点が見つかり、民話を紐解くとお国柄が反映されて伝承されている事実に気づきます。
現在は小説だけでなく、漫画やアニメ、映画と媒体を変えて物語は紡がれています。
世の中には大量の物語が存在し、まったくのゼロから物語が生み出されることはありません。
誰かが誰かの物語を知り、自分の中で熟成させ、新しい物語が生み出されています。
古典は物語を生み出す心の素地をより豊かにしてくれる。
私はそのように考えます。
「古典を知りたい、けど少し尻込みしてしまう」
そんな方はまず本書を手に取ってみてはいかがでしょうか? 気軽に読むことができてオススメです。
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