前回、河合隼雄さんの講演内容を編集した本『カウンセリングを語る(上)』の書評を書きました。上巻を手に取ったのなら下巻も読みたくなるのが本好きの性。なので今回は『カウンセリングを語る(下)』をご紹介します。
*『カウンセリングを語る(上)』の書評はこちら
上巻がカウンセリング入門書寄りの内容だったのに対して、下巻はより専門的な内容となっています。どのように専門的なのかというと、学問の派閥、日本的カウンセリング、困難な人生問題を抱えている人への対応、宗教、魂、といった一筋縄ではいかない内容を題材に挙げられています。
専門的な内容なら、本書はカウンセラーを目指す人にしか役に立たないのではないか? と疑問を抱かれるかと思います。
確かに「第一章 カウンセリングの多様な視点」ではフロイト、アドラー、ユングの違いだったり、学派の説明だったりで、少しとっつきにくい部分があります。
また「第二章 日本的カウンセリング」では、日本でカウンセリングを行う時、アメリカ式でそのままやっても結果が伴わない、ということを具体例を交えて説明されています。
上記のような話はカウンセラーになら役に立つ部分が多々あるように考えられます。
ですが、カウンセリングと縁のない人でも、学ぶべき点があるかと思います。
本書は河合隼雄さんが実際に行った講演内容を文字に起こして編集したものです。そのため、聴衆に理解しやすいように具体例を使って説明されています。具体例は一見とっつきにくい内容の話を咀嚼しやすいものへと変えてくれています。
これは「心」を取り上げる物書きにとって知識の補強になるのではないでしょうか?
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私が本書を読んで学びになったと考えたのは、今の日本に欠けているものについての説明です。
「第三章 人生の実際問題との対し方」では、求められているものとして「父性・父親の役割をして頑張る人」を取り上げています。
悪いことをしたら「いけないことだ」と理屈抜きで叱り飛ばす人。それが家庭や社会に不在だから、子供が荒れる。この考えと実体験の説明は読んでいて考えさせられるものがありました。
「第四章 宗教との接点」では、「理屈抜き・科学的説明なし」で納得できることの重要性が説かれています。
科学的根拠を列挙して説明するのは簡単です。ですが、それだけで誰もが納得できるでしょうか? 場合によっては「そんな説明を聞きたいのではない」と怒り出すこともあるでしょう。
この「理屈抜き・科学的説明なし」で相手が納得できる根拠が、宗教的価値観だと説明しています。
この章で書かれているのは「宗教を信仰しろ」といった暴論ではありません。ただ、思い悩み苦しんでいる時、何か一つ「これを信じてみよう」とする考え・信仰・宗教があると、案外心が自由になる場合がある、と説明しているのです。
章の後半にある家庭内暴力を行う子どもの話は、とても考えさせられました。
社会が近代化するに従って失ってしまったもの。それを認識することは、創作に深みを与えてくれる気がします。
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最後に「第五章「たましい」との対話」があります。
この章の後半に、創作のことについて少し書かれています。ここでは創造的な仕事をしている人が「心の病(ノイローゼや精神病のようなもの)」を克服した後、ものすごく創造的になるという事実を紹介しています。
ものすごく創造的になる、というのは、「たましい」に深く沈潜し、それを生かして創造することを指します。
自分の「心」の深いところに接触し、「たましい」に触れる。そのことで自分が創作しているモノにこれまでなかった何かが付加される。
心の病に罹るのは怖いですが、物書きの端くれとして自分の「たましい」を深く知りたい、知ることで心を揺さぶる何かを創造してみたい、とは思います。
もし本書に興味を抱かれたのなら、是非手に取ってみてください。何かしら学びがあります。
『カウンセリングを語る(上)』が気になる方は是非こちらもどうぞ。
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